https://news.yahoo.co.jp/articles/42250b76a057fcfc4c44bd435d4cc542d6447932
青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!
【写真あり】1980年から放送された『池中玄太80キロ』に西田敏行の長女役として出演
【『池中玄太80キロ』(日本テレビ系・’80年)】
西田敏行演じる池中玄太は鶴子(丘みつ子)と結婚するものの、1カ月もたたずに鶴子が急逝、血のつながっていない3人の娘の父親に。長女の絵理(杉田かおる)たちに受け入れられなかった玄太が、一生懸命に娘たちと向き合う姿に涙腺崩壊。
「『パパと呼ばないで』(日本テレビ系)のチー坊など、天才子役と呼ばれていたものの、イメージを払拭できないまま“中1の壁”にぶちあたり、仕事は激減。迷走してアイドルをはじめるも、まったく売れずに借金を抱えるはめに。『3年B組金八先生』(TBS系)や『池中玄太80キロ』に出演したことで、やっと脱・子役を果たせたんです」
こう振り返るのは、杉田かおるさん(58)。同ドラマは、報道カメラマンの池中玄太が、血のつながらない3人姉妹の子どもたちと、本当の家族になっていく物語。
「池中玄太の職業は、篠山紀信さんをはじめとしたカメラマンが当時の花形職業だったことから決まったそうです。西田(敏行)さんにとっては民放連続ドラマ初主演。日テレも“何年たっても感動するような作品にしよう!”と力を入れていました」
ドラマの挿入歌『鳥の詩』もヒットして、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)にも出演。
「アイドルで失敗しているので、音楽番組には出たくなかったのですが、同じ日テレということで断れずに……。衣装がないから自分で西武デパートに買いに行ったのですが、曲をイメージして選んだ服は『バードウオッチングしているみたい』と不評でした」
■反抗期の真っただ中で現場ではハレモノ的な扱いを
撮影現場では、西田のアドリブ演技がさく裂。みんな笑いをこらえるのに必死というほど和やかな雰囲気だったが、たびたび杉田さんが場を凍りつかせたという。
「当時は反抗期まっさかりで、よく西田さんに歯向かってしまいました。6歳のときに両親が離婚して、父とは縁が薄いため、ドラマで父親役の西田さんに甘えてしまったんでしょうね。私は現場ではハレモノ的な扱いでした(笑)」
あるとき、スタジオの食堂で、デザートのプリンを食べている妹役の子が『絵理ちゃん(杉田さんの役名)は食べないの?』と言ったときのこと。
「借金を抱えていたから、使えるお金は交通費と食事代で1日1500円。プリン代がなかったんです。悲しくて、思わず『いらない!』と席を立って、そのまま楽屋でふて寝。完全な八つ当たりで、撮影を遅らせてしまったのですが、こんなときでも西田さんは『疲れていたんだねえ』『お年ごろだからね』とフォローしてくれたんです」
イチオシ記事
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かつてはそうかがっかいの広告塔だったが、
脱会してからは芸能界から干され嫌がらせされているのは知ってる
長澤にはエロさがある
そっちしか知らない
そうとう性格悪いんだろうなぁ
ナイトスクープで泣くのもキモすぎるわ
さすがに涙腺おかしすぎる
あーこれか
まあこれはアカンな確かにw
これはアフリカ探検服じゃ?
ブッシュベイビーのアニメ思い出した
Source: V速ニュップ
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